画像:大阪市
「4区B案」は上の画像の通りとなっている。区名は、第一区が東西区を経て淀川区、第二区が北区、第三区が中央区、第四区が南区を経て天王寺区と決まった。以下では、この区割り案の不満点を論じつつ、同時に改善点を少し考えていきたい。
第一区(淀川区)
前回住民投票の5区案では、淀川区・東淀川区→北区、西淀川区・此花区・港区→湾岸区とされていた。同じ淀川以北にありながら、淀川区・東淀川区と西淀川区の間には鉄道網が整備されておらず、西淀川区にとっては、阪神本線・なんば線やJR東西線で繋がっている此花区や福島区(第二区)のほうが身近な区といえる。
その福島区は、1943年に此花区と西淀川区の一部を得て新設された区で、最終的な5区案では此花区・西淀川区から分離されたものの、その素案となる2012年11月公表の5区(北区・中央区分離)案では同じ湾岸区とされていた。その歴史的経緯や鉄道網の結びつきからも、やはり福島区・此花区・西淀川区の3区は切り離すことができないだろう。
一方で港区は、福島区や此花区より西区や大正区との結びつきが強い区である。特に大正区は鉄道駅も北東部に大正駅1駅しかなく、南部は木津川によって孤立させられがちであるので、港区との道路による繋がりは大事な生命線ともなっている。この大正区を港区から切り離すというのは少し理解しがたいところである。
改善案
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淀川区・東淀川区・西淀川区・福島区・此花区(福島区は第二区から)
第二区(北区)
前回住民投票の5区案では、北区・都島区・福島区→北区、東成区・城東区・旭区・鶴見区→東区とされており、東区はこの4区に生野区(第四区)を加えた5区で構成されていた。この5区は1925年の第2次市域拡張後の旧東成区域とほぼ一致しており、歴史的に見ればきわめて一体感の強い区域といえる。
現在の鉄道網から見ても、2006年に開業した地下鉄今里筋線によって南北が結ばれたことによって、千日前線と長堀鶴見緑地線と合わせて地下鉄だけで5区内を行き来できるようになった。この5区の中でも特に東成区と生野区の結びつきや連続性は強く、この両区を切り離している現案にはやはり違和感を感じざるをえない。
改善案
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北区・都島区・東成区・生野区・城東区・旭区・鶴見区(生野区は第四区から)
*福島区については第一区の項に記述。
第三区(中央区)
前回住民投票の5区案では、中央区・西区・浪速区・西成区→中央区、大正区→湾岸区、住吉区・住之江区(東部)→南区とされており、中央区はこの4区に天王寺区を加えた5区で構成されていた。天王寺区は大阪第三の繁華街である天王寺・阿倍野エリアを阿倍野区と分け合うが、やはり歴史的には同じ大阪環状線内の中央区東部との繋がりが深い。
住吉区と住之江区は市の最南端に位置し、この2区を加えると、中央区と名乗るには大きくバランスが悪くなる。それぞれミナミ(中央区・浪速区)へは南海本線・高野線、阪堺線、大阪メトロ四つ橋線で直通しているとはいえ、住吉区の大部分は、歴史的経緯からも現在の鉄道網からも、天王寺・阿倍野エリアとの結びつきのほうが強いだろう。
改善案
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中央区・西区・天王寺区・浪速区・西成区・港区・大正区(天王寺区は第四区、港区*は第一区から)
*港区については第一区の項に記述。
第四区(南区)
前回住民投票の5区案では、天王寺区→中央区、阿倍野区・東住吉区・平野区→南区、生野区→東区とされており、南区はこの3区に住吉区と住之江区(東部)を加えた5区で構成されていた。この5区は1925年の第2次市域拡張後の旧住吉区域とほぼ一致しており、旧東成区域ほどではないにしろ、歴史的に見れば一体感の強い区域といえる。
また、旧東成区域と違うのは、阿倍野区と住之江区以外の住吉区・東住吉区・平野区の3区とは、南北において、JR阪和線・関西本線、大阪メトロ御堂筋線・谷町線、阪堺線、近鉄南大阪線の6線で十分に結ばれているものの、東西においては、鉄道網は1線も整備されていない。整備計画に含まれていた住之江公園駅(住之江区)と喜連瓜破駅(平野区)を結ぶ地下鉄敷津長吉線も、現在はまったく見通しが立たない状態となっている。
改善案
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阿倍野区・住吉区・住之江区・東住吉区・平野区(住吉区・住之江区は第三区から)
*天王寺区については第三区の項、生野区については第二区の項に記述。
結論
画像:『大阪都ふぁん』にて作成
以上の改善案をすべて反映したものが上の画像となる。歴史的経緯や現在の鉄道網から見て、どうしても4区に分けるというならば以上の改善案、5区に分けるならば前回住民投票の5区案を福島区のみ北区→湾岸区に修正したものが最善と考える。